Arabicabeans’s diary

認知症の母とMCIの父の介護記録

母のできることがだんだん減っていく

今年の始め頃は、まだ洗濯もできていた。

今は、洗濯機の使い方もわからなくなってしまい、洗濯を毎日しなければならないことも忘れてしまったようである。

 

2ヶ月前は、お皿だけはきちんと洗っていた。

今は、流しにたまったお皿さえも洗えなくなってしまった。

 

これが、認知症が進行するということなのだろう。

 

ただ、私が一緒について「お皿を洗おうね。」と言えば普通にできるので、そばでサポートしてあげられれば少しは進行も遅らせられるのかもしれない。が、如何せん、遠距離なので頻繁にはサポートもしてあげることもできない。このまま、進んでいくのを只々見ていることだけしかできないのだろうか。

 

せめて、電話でも頻繁にしてあげようと思って、ペットカメラで母がリビングにいるのを確認しながら、電話してみる。

 

最近では、電話がどこにあって、どうやって出ていいのかも混乱している様子が、カメラを見ながらかけるとわかる。

 

まず、電話がなると、テーブルにおいてあるテレビのリモコンを耳にあて、「もしもし」と言っている。私は、「お母さん、それは電話じゃないよ。」とペットカメラから叫びたくなるが、下手にカメラに注意を向けられると後でコンセントを引っこ抜かれるので、カメラからは呼びかけないようにしている。

 

その後、エアコンのリモコン、室内の電気のリモコンを順番に耳にあて、もしもしと言っている。

 

一通り、リモコンと戯れるとやっと電話のありかに気づく。

今回は、私の負けだわ

前回のブログでもご紹介したが、母は訪ねてきた人には、とにかく、何でもよいからお土産を持たせようとする。


認知症になる前は、さすがに持たせるものも、いただき物のお菓子など、人がもらっても困らないものをそれなりに渡していた。


しかし、最近ではお土産として渡してもいいものかどうかの判断ができなくなっているので、とにかく、何でも冷蔵庫から出して、人に持たせようとする。

 

父が毎食のデザートに楽しみにとってあるいちごヨーグルトや、私がおかずの足しにとパルシステムで頼んでおいた冷凍食品の唐揚げ、オムライスや、トマトやきゅうりなどの生鮮食品。要冷蔵、要冷凍にかかわらず、何でもお土産の候補になる。

 

この前は、母が処方されている漢方薬といった変わり種もお土産の候補になっていた。

「これを寝る前に飲むといいわよ。」と言って。自分もきちんと飲めていないくせに、人に勧めるんじゃない!

 

そのお土産行動は、娘の私に対しても同様である。いや、むしろ是が非でも何か持たせたいという熱量はさらに増し、他人に対してよりも、もっと強引に押してくる。荷物が重くて、持って行けない。とか、そんな冷凍品を遠距離で持っていけない。と断っても、記憶には留められないので、何百回と言ってくる。(私には、それぐらいに感じる。)というか、有無を言わさず、気がつくと既に私のかばんの中をお土産で埋め尽くしてる。

 
認知症サポーターの叔母なら、認知症患者の申し出を無にしたら可愛そうだと考え、持ち帰ってくれるのかもしれない。が、私は、毎回帰る際にどうでもいいものを持ち帰れと強要されるのが、非常に鬱陶しい。
 
 
母ががっかりしようが、怒りだそうが、3時間かけてそんなものを意地でも持って行ってやるかと言う気持ちで、そこは容赦なく突っぱねる。普段は、できるだけ認知症が進行しないようにと散歩に連れて行ったり、栄養のよいものを食べさせたりと考え、サポートしてあげたいとは思っている。しかし、この母のお土産行動に関しては、どうも寛容に考えてあげることができない。母のお土産を持って帰ってしまったら、自分が負けてしまったぐらいの悔しい気持ちになる。ある種、母との戦いであるかのように思っている。

 

私は、両親宅から帰る直前は、台所の掃除や部屋の片付けなど、やることを早く済ませてできるだけ早く帰りたいと焦っている。そんな状況を知ってか知らずか、母は私が帰ることを察知すると、お土産セットを詰める作業をし始める。冷蔵庫を開け、何を持たせようかと物色している。

 

私は、「やばい、また始まった!」と、思いつつも横目で眺めながら、しばらく放って置く。

 
以前は、私はそれを目にするやいなや止めさせ、冷食やヨーグルトをもとに戻していた。が、それをその場でやったところで、また数分後には同じことをされるので、堂々巡り。かえって自分が疲れてしまう。しかも、早く帰りたいのに、それに時間がとられてしまい、帰る時間が却って遅くなってしまう。
 
 
しかも、母はせっかく詰め終わったお土産セットが目の前で解体され、冷蔵庫に戻されると、かなり怒り出す。できれば、母がお土産を用意する間もなく、風のように去ってしまったと思わせたほうが、母もあきらめ、スムーズに帰ることができる。
 
 
そのため、私も帰る1時間前から、自分の仕事の段取りを組んで、自身の仕事を終わらせ、且つ、家を出る直前、母が私のかばんに入れたバナナだの、ヨーグルトだの、冷凍餃子だのを袋に入れたお土産セットを母が目を離した瞬間に解体し、全てを冷蔵庫に戻すことを毎回の目標として動いている。
 
 
そして、「それじゃ、また来るね!」と言って、母に再度、お土産セットを作り出す間を与えず、風のように去っていく。
 
 
そして、注意するべき点は、完璧にわかりにくい場所に隠して戻さないと、下手するとバナナを持って、道路まで足を引きずりながら追いかけてくる。いつも、杖をつきながら、足が痛くて歩けないと言っている母が。
 
 
母が新たにお土産セットを作ろうとあたふたしている間に、うまいタイミングで家を出てくることができれば、何かバトルに勝利したような清々しい気持ちで駅に向かうことができる。
 
 
昨日も、私は全て用を済ませたあと、母が私のかばんの中に詰め終えたお土産を母がトイレに行っている隙を見計らって、素早く冷凍庫に戻し、母が戻ってくるやいなや、「じゃ、帰るね。」と言い、すぐに家を出ようとした。
 
 
母は、もちろん、自分ではお土産を詰めておいたことも覚えておらず、「お土産がないじゃない。」と言って、急いで冷蔵庫にかけ寄っていく。私は、また「大丈夫。また、来るね!」と言って、母が追いかけて来ないことを確かめながら、門を出て、すぐに角を曲がり、隣家の塀に身を隠しながら逃げるように走り去った。
 
しめしめ、今日もうまい具合に母の作ったお土産セットを戻し、スムーズに家を出られた。と、すっきりした気持ちで家まで帰っていった。
 
 
3時間かかって家に到着し、自分の洗濯物など早速洗ってしまおうと、使ったタオルをかばんから取り出そうとした。その瞬間、何か冷たいものが入っていることに気づいた。それを見たとたん、「やられた!」私は思った!
 
 
次に行った時にすぐ料理にとりかかれるように冷凍庫にストックしておいた豚ロース薄切りがちょうどよく解凍された状態で、かばんの底に入っていたのだ。
 
 
私は、その瞬間、負けた!と、思った。私は、母の作ったお土産セットを全部解体して、戻しておいたと思っていたが、母は、その前にもすでに生肉を私のかばんに忍ばせていたのだ。
 
 
私は、何とも言えない敗北感を感じた。
 
 
いつものように完璧に段取りを考えて、いつものように母のお土産セットを完璧に解体し、何一つ手抜かりなく、実家を出たつもりであった。
 
 
悔しいが、今回の母との戦いは、負けを認めざるをえない。
 

どうか、おかずだけは。。。

どういう訳か、母は訪ねてきた人にお土産を持たせなければ、気がすまない。

 

それは、認知症の症状が出る前からもそうだった。

 

もしかしたら、その地域に住んでいる人に、その傾向が強いのかもしれない。叔母を訪ねた時も、父の知人宅に行った時も、突然お邪魔したにもかかわらず、帰り際にお土産を渡された。

 

もちろん、私も、人の家にお邪魔するときは、何か持って行こうと考えるが、突然、人が訪ねてきたときに必ずしも何かあげなければとも思わない。

 

母が認知症になって、以前から母に身についていた生活習慣、きれい好きだったところ、食べ物へのこだわりなど、母の持っている性質だと思っていたところは、かなり失われてしまったように感じる。

 

しかし、このお土産をあげなければ気がすまないという性質だけは、本能のように残っている。

 

現在、配食サービスは利用しているが、父はそれでは少し足りないようで、私がネットで注文しているおかずも合わせて何とか、生き延びている。

 

おかずが配達された次の日に、私が両親宅に行った日のことである。さばの味噌煮、いわしの蒲焼、焼き鳥、エビシュウマイなど、5点くらい注文しておいた。冷凍庫を確認してみると、前日に届いているはずのものが、何ひとつ入っていない。配達完了のメールも届いていた。まさか、一晩で食べてしまったのか?

 

父に尋ねると、父は庭仕事をしていたのでよくわからないが、親戚の叔母が来て、母が何かをあげていたようだと言う。

 

まさか、冷凍食品を全部あげてしまったのか?

 

たまたま、後で他の用があってその叔母に連絡することがあった。やはり、母が冷凍食品を全部、差し出してきたので、持って帰って行ったという。

 

彼女は、認知症サポーターの講座にも出て、認知症のことはよくわかっているという。「認知症患者の言うことは、絶対に否定しちゃいけないのよ。だから、断らないで、ちゃんと持って帰ってきたからね。」と、自分はいかにも認知症の理解者であると言わんばかりに、自分の行動を誇らしげに語っていた。

 

私も、心配して様子を見に来てくれた叔母にその場では何も言えなかった。が、できれば、おかずは持って行かないでほしい。と思った。

 

母は、自分がお土産を渡すことで、夕食のおかずが減ってしまうということなど、全く予想できないのだ。

 

その数日後、父から電話があった。

その晩、夕飯に食べようと思ってテーブルの上に用意しておいたおかずがまたなくなっていたという。母が、夕方デイサービスの方に送られ帰って来た直後のことだった。

 

父は、まさかと思い、送ってきてくれたデイサービスの車がまだ家の前に止まっていたので、慌てて車まで行くと、その方が父がテーブルにおいておいたおかずを持っていたという。

 

認知症サーポーターや介護関係の人たちは、どうやら、認知症患者の言うことを否定してはいけない、申し出を断ってはいけないと考え、皆、おかずを持って帰ってしまうのだろうか?

 

認知症患者の気持ちを理解しようとしていただくその気持ちは、大変有り難いが、できれば、おかずは......。

 

買い物難民の高齢者にとってせっかく確保した食料を持っていかれるのは、非常につらいところだ。



ローソンコーヒーと団子

「遠距離介護、大変ね。」とよく言われる。確かにスープの冷めない距離にいてくれたら、どんなに助かったことかと思う。

両親に、何度も私の家の近くに引っ越すことを提案したが、そこから動こうとはしない。

 

仕方なく、こちらが向こうに合わせる形で、両親のもとへ通うことになる。

ちょうど、先日、叔母夫婦も、「この田舎で年寄りだけで暮らすのは無理だ。何かあったら子供に迷惑をかける。」と言って、娘のいる遠方に引っ越して行った。

それにくらべて、うちの両親は娘にこんな苦労をさせて、どう思っているんだろう?と、恨みたい気持ちにもなった。

 

しかし、両親宅で炊事、洗濯、掃除、母のデイサービスの用意など、すべてやり終え、駅まで向かうときの爽快さがたまらない。ひと仕事やり終えた清々しい気分と、どんよりした老人臭漂う家から逃げ出せたような開放感。

 

次の日に何かが起こり、3時間かけて、また両親宅に向かわなければならないという不安は常に心のどこかにあるが、少なくとも、家に帰る電車の中では、彼らのことを考えず、気分を切り替えられる。

 

これが、家が近かったら、近い分、毎日様子を見に行かなければならないという義務感さえ感じ、それはそれで、大変なんだろうと思う。

私は、両親宅から帰るこの途中の3時間がとても楽しみでさえある。介護から、開放された束の間の時間。

 

特に、楽しみなのは乗り継ぎ途中にある、手作りの団子屋さんで、好きな団子を買って、それをローソンのイートインで、深煎りコーヒーを飲みながら食べること。(持ち込み、すみません。)

 

最初は、ストレス解消で多少高くても、もうちょっとリッチなカフェでお茶をしたこともあったが、結局、私にはこの二つがベストマッチなのである。

苦味がなくさっぱりとして、何故か団子によく合う。と私には思える。もちろん、コーヒーの好みは人それぞれなので、もっと酸味のあるものをお好みの方もいるかもしれない。

 

とりあえず、今の私の介護のストレス解消は、団子とローソンのコーヒーだ。

今回はみたらしにするか、甘だんご、はたまた、まだ食べたことのない紫芋あんにするか?など、行く前から妄想が止まらない。

 

みなさんは、どのように介護のストレス解消をしていらっしゃるでしょうか?

 

そんな二人暮らし

熱中症警告が出ているのにもかかわらず、暑さにさらに追い打ちをかける母の行動を目の当たりにして。

母が一人暮らしならともかく。一応、一緒に暮らしている父の助けをかりたいものだ。が、その父に助けを頼むのも、大変な労力がかかる上、全く用をなさない。

まず、父はおそろしく耳が遠い。向こうからは、一方的に用件を言ってくることはあるが、こちらの用件を伝えることは不可能に等しい。

「あのさ、この暑いのに、お母さんがストーブにあたってるんだよね。」と、私が電話で言うと。

「ああ、スープはお母さんは全然飲まないなあ。しょうがないから、おれが一人で全部食べたよ。」ってな、感じで全然話がかみ合わない。

また、たとえ、父がその母の熱中地獄に出くわしたとしても、なお、問題点に気づくかさえも、わからない。

おそらく、母が本格的に熱中症になり、そこに倒れているのを目にするまでは、何のアクションもおこさないであろう。

そんな、二人暮らしである。

このカメラは私を助けてくれるものなのか?

何とかカメラの取り付けも落ち着いた。これで、特に大きな問題が起こらなければ、3時間、いや往復6時間かけて行かずとも、カメラ越しに見守ることができる。

 

本当に技術の進歩とは、ありがたいものだとしみじみ思った。

 

朝の天気予報で、「今日、関東では28度ぐらいまで、上がるので熱中症に気をつけてください。」とのことだった。昨日は17度ぐらいまでしか上がらなかったのに。そんなに気温差があっては、年寄りにはこたえる。

 

何かあっては、また私が6時間かけて駆けつけなければならないではないか。思わず、気温の上がり下がりに毎日、一喜一憂してしまう。

 

天気予報を聞くやいなや、両親の様子を確認しなければと思い、ペットカメラを覗いてみた。

 

午前中、もう食事を終わらせたのか、母が一人でリビングに座っている。

 

これから、28度まで上がろうというのにセーターを着ている。その上にカーディガンまで羽織っている。

 

そして、よく見ると、な、なんと電気ストーブまでついている。確かに前日は寒かった。が、しかし、なぜストーブを今つけるんだ!

 

私は、見なくてもいいものを見てしまったような気がする。カメラがなければ、このような恐ろしい有り様を見ずに済んだのかもしれない。

 

ペットカメラ、その後

その後実家に行く度にカメラのコンセントをさしてきたが、家に帰る電車の中で確認すると、すでに抜かれている。このいたちごっこを何回か繰り返した。

 

やはり、台所のコンセントでは、どうしても母の目についてしまうので、場所を変えなければならない。母の目につきにくいところ。

 

目につきにくいところは色々あるが、目につきにくくても、そこに母が行かなければ意味もない。回り回って、結局、プライバシーもへったくれもなく、リビングの正面のテレビの裏にあるコンセントを選んだ。テレビの裏に隠れていて、さすがの母もテレビの裏にまで手を回していちいち線を抜くことはしない。

 

家に帰ってから、カメラを覗いてみた。思った通り、カメラの線は抜かれておらず、見ることができた。成功!

 

しかし、カメラをテレビの横に置いているため、両親の顔を真正面からどアップで見ることになった。

 

二人はテレビを見ながら、こちらを見て食事をしている。そこまで、しっかり彼らの日常を覗き見たいとも思わなかったので、何だか、きまりが悪い。

 

だが、様子が見えるようになったことで、母のおかしな言動に振り回されなくてすむかと思うと、カメラの設置が成功しただけでも、少し介護のストレスが緩和されたような気もする。

 

とりあえず、ペットカメラを巡る母との攻防?は、落ち着いた。