3年間のコロナ禍では、介護者として、自分がコロナにかかってしまったら、大変なことになるという緊張感やプレッシャーを感じながら、常に生活してきた。
もちろん、それは、高齢の両親に感染させてしまうのではないかという危機感でもあるし、病院の付き添い、両親の身の回りの世話、配食の段取り、ゴミ出しなど誰がやるのか?という自分に課された負担への重圧感でもある。
自分が倒れたら、あの年寄り二人を露頭に迷わせてしまうのではないか?ぐらいのプレッシャーを常に感じつつ、コロナ禍を過ごしてきた。
それが、いつの間にか、世の中の流れとともにすっかりコロナに対して、無頓着になり、気が緩み始めた、その矢先、私はコロナにかかってしまった。
主人が熱が出たと言って、会社から帰宅した。すぐに、部屋に隔離し、食事も全てそこでとってもらい、接触を断ったつもりでいたが、次の日、私もすぐに熱を出した。抗原検査は、しっかり陽性。
翌々日には、帰省を予定していた。
父の介護認定調査や健康診断、母の定期検診やら、予定が満載であった。
薬の数の確認をし、次の週に延期できるか、ケアマネさん、病院、配食、ゴミ出しの手配など、方々に連絡をとり、調整してもらい、病院の診察は高齢者に接触してもよいとされる10日後に変更してもらった。
しかし、父は感染をえらく恐れているようで、「こちらで、何とかなるから、当面は来なくてもいい。」という。それは、娘の体調を心配してというよりも、うつされたら大変だというもの言いだった。
熱も、とっくに下がっているし、10日過ぎたら、すぐにでも帰省しなければと思っていたが、あちらで、困っていないなら、無理して行かなくてもいいか!っと、一気に力が抜けたような気がした。
自分で、全てを背負わされているかのように、常にプレッシャーを感じていた。が、いざ、恐れていたコロナにかかると、全ての予定は電話で何とか変更し、色々な人にお願いして、何とか回すことができた。自分が心配していたほど、非常事態は起こらなかった。
コロナのお陰で、必要以上に一人で抱え込みすぎていた重圧からほんの少し解き放たれたようだった。私が病気になっても、休む余裕ぐらいはあるのだ。そう考えると、もう少し心にゆとりを持って介護ができそうな気がした。
しかし、コロナになってみて、高齢者にはこの高熱、息苦しさ、体中の痛みを経験させてはならない。と改めて痛感した。これだけは、コロナに対する世の中の空気が緩んでも、継続して守ってあげなければと感じるのだった。
今回、私が帰省する直前に発症し、両親と接触せずに済んだのが、不幸中の幸いであった。