Arabicabeans’s diary

認知症の母とMCIの父の介護記録

イライラが爆発する時

認知症の症状が出てから、もう7年目になる母。100キロ離れた両親の元へ通うことになったのも、その頃からである。

最初の頃は、月1ぐらいの帰省で済んでいた。しかし、今では父と母、両方の診察の付き添いや、父だけでは母の面倒を看るのが辛くなってきたようなので、電車で3時間かけて、往復6時間、毎週通っている。

電車に乗っていれば、着いてしまうし、電車に乗っている間、本を読んだり、仕事も多少できると思って、毎週の小旅行を楽しもうと思ってやってきた。

周りには、「毎週、行かなくゃ行けないの?もっと、介護サービスに任せたら?」と言われながらも、自分ではそれほど、負担には感じていないと思っていた。そのため、母に何万回と同じ話をされようが、15キロ以上離れた所まで、苗木の肥料を買いに連れて行ってほしいという父の無茶な要求にもキレずに応えてきた。

しかし、気づかぬうちにストレスが溜まっているのか、3ヶ月に1度ぐらい、本当に些細なことで、爆発することがある。

私が、帰省している間は、もちろんヘルパーさんの料理支援は頼めないので、私が、その日の昼食、夕食、次の日の朝食を用意することになっている。惣菜を買ってくればよいのだが、父は私の料理を毎回、喜んで食べてくれるので、何だか期待されているようで、作らざるを得ない状況になっている。

家に帰る日は、16時には出たいと思っているが、突発的に父に追加の用事を頼まれたり、私が急いでその日の夕飯作りを終わらせたいと思っているときに限って、母は煮物真っ最中の圧力電気釜のコンセントを抜いてしまったりする。

その日も、もう15時近くになっていた。全ての食事作り、家事を終わらせ、帰る支度にとりかかりたいところだった。

しかし、父が、先日補聴器のことでお世話になった吉岡さんのところへ挨拶に行きたいので、車で連れて行ってくれと言い出した。私が、「今日はもう時間がないから、来週にしよう。」と言っても、難聴の父には聞こえないし、認知機能も衰えているので、私が急いでいることなど、わからない。

そこへ来て、もはや料理のできない母が台所で何やらやっている。とにかく、早くその日の夕飯と次の日の朝食を作り終えたいという気持ちで、テンパっている私は、母が私が煮物をかけておいた圧力電気鍋を開けているところを見て、叫んでしまった!

「どうして、いつも勝手に鍋を開けちゃうのよ!」

母は、「だって、わからないじゃないの。」

私は、「わからなかったら、触らないでよ! ご飯ができないじゃない!」

母も、興奮してくると、引き下がらない。

「ご飯なんて、お母さんが作るから、作ってもらわなくても結構よ!」

 

そこで私は、いよいよキレて「何言ってるのよ!料理なんて、もう何年も作ってないじゃない!お母さんが何もできないから私が、毎週遠くから来て、やらなきゃいけないんじゃないの!いい加減にしてよ!」

つい、言ってはいけないこと。言ってもどうにもならないこと。を口走ってしまった。

私は、すぐにしまった!と思った。しかし、まだ感情的になっていたので、謝ることもできず、ただ鍋の中を覗いていた。芋の煮っころがしはちょうどよく煮えていた。圧力鍋なので、料理途中であれば、無理やり開けることも難しいだろう。

母は、無理やり開けたわけではなく、できていた煮物を覗いただけで、何の邪魔もしてはいない。完全に、私の八つ当たりだった。

私は、冷静さを取り戻し、母に「お茶でも飲もうか?」と母の好きなお菓子を出し、お茶を入れた。

認知症で有り難いと思うことは、話題を変えるとすぐに直前のことがなかったことにできる点だ。

母は、何事もなかったように、好きなお菓子を嬉しそうに食べながら、「あなたも食べなさいよ。おいしいわよ!」と、言ってくれた。

私は、謝るべきだと思ったが、何のことについてかも忘れていると思うので、そのまま、幸せそうにお菓子を食べてくれている母に「ごめんなさい。」と心の中で言った。