Arabicabeans’s diary

認知症の母とMCIの父の介護記録

ペットカメラつけてみた

前回、お話した経緯もあって、突然何かあっても遠距離に住んでいるため、両親宅にすぐに飛んでいくことができないので、ペットカメラを設置することにした。

 

何もなくても、認知症の母が度々おかしなことを言うので、様子がわからないと私が振り回されることになる。私のストレス軽減のためにも、役立つだろう。

 

カメラは、コンセントにさすタイプである。最初は、リビングに置くのは生活を覗き見するようで、いくら親でもプライバシーは尊重しなければなどど考え、台所におくことにした。台所なら、お茶を入れたり、冷蔵庫から食べ物を出したりと、必ず二人とも行くので、安否確認がしやすいと考えた。

 

取り付けてから、スマホで見られるかどうかも、きちんと確認した。母は、ともかく父は、まだ常識的なことは理解しているので、父に許可を得ず、勝手にカメラを取り付けるのも、気が引けたので、一応、父には母の安全確認のためということで、カメラをつけることを伝えておいた。

 

カメラで様子が見えることで、私のストレスと気苦労も少し、楽になるだろうと思い、ちょっとだけ、うきうきしながら、帰りの電車の中でも覗いてみた。夕方だったので、冷蔵庫から食べ物を出して、夕飯の用意をしようとしているようだった。(私が作っておいたものを出すだけだが)よしよし。これからは、健康状態ぐらいはチェックできそうなので、安心だと思いながら、そのまま3時間電車に乗り、家に帰った。

 

3時間後、家に着き、また念の為、見てみようと思ってスマホのカメラアプリを覗いてみた。が、映らない。Wi-Fiの接続が悪い時間帯もあるので、しばらくしてみてから、また接続してみた。何度、繋いでも映らない。もう、夜も更けてしまったので、朝、また接続してみようと思って、その日は諦めた。

 

次の朝、またチャレンジしてみたが、繋がらない。もしや?

 

シンプルなことを思い出した。母は、色々なことができなくなっているが、使わない電気製品のコンセントを抜くという習慣は、本能のように残っている。

 

寝る前は、戸締まりと家中のコンセントを抜くという作業を欠かさない。寝る前でなくとも、母が使っていないと判断した電気製品のコンセントは、すぐさま抜いてしまう。

電子レンジや電気釜、使い終わったコンセントは、ためらいもなくどんどん抜く。

自分がわからないものは、たとえ動いていても、抜く。前に、電気圧力釜で煮物がグツグツと煮えている真っ最中に、ぶちっと線を抜かれてしまったことがある。

 

そういえば、カメラのコンセントは、電子レンジの上にさしてきた。あんなにわかりやすい場所では、母にはひとたまりもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペットカメラ設置の理由

母は、もう電話をかけるのも、電話に出るのも、難しくなってきた。昔は大した用でもないのによくかけてきたが、最近は母からかけてくることは全くといってない。

 

しかし、緊急時には残された能力を発揮して私に電話をかけてくる。

 

私が固定電話の前に大きく、貼っておいた電話番号を見ながら、何とか電話をかけてきた。

 

「大変なの。お父さんが、返事をしないのよ。ちょっと、見に来てくれないかしら?」と、慌てて言う。

 

「ちょっとって、言ったって、そこまで行くのに3時間かかるんだけど。」と、近くに住んでいると信じ込んでる母に、言っても無駄なことを言ってしまった。

 

父は普段は90歳にしては、元気だが不整脈のせいで、たまに意識障害を起こす。また、同様なことが起きたのかと思い、すぐに、救急車を遠隔で呼んでもらった。

 

しばらくすると、救急隊の方から電話が来て、特に問題ないとのことだった。「本当にお忙しいのにご迷惑おかけしました。」と、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

父は父で、耳がえらく遠いので、電話で何があったのか、確認をとることも難しい。が、おそらく、父は認知症の母が、同じ質問を100回ぐらい繰り返すので、何も答えず、よく目をつぶって、寝たふり、または、死んだふり?をして、母を無視することがよくある。

 

何か対策を立てないと、また母の「大変よ。」に巻き込まれてしまったら、救急隊の人も、私もたまったものではない。

 

父の様子が見えれば、慌てることもないので、リビングにカメラをつけることにした。

 

最近、流行りのペットカメラである。

 

 

どこが家?

私は、100キロ離れた自宅から電車を乗り継ぎ、3時間かけて介護のために両親宅に通っている。

主には、認知症の母の介護は90歳の父に任せている状態だった。が、その父が不整脈で意識消失して入院してしまった。

 

幸い2週間ほどで退院できるということであったが、認知症の母を家に一人で置いておくわけには行かない。

 

母は、洗濯、掃除はもちろんできないが、電子レンジで食事を温めることもできない。何より、父が入院したことを理解できないので、夜、父がいなかったら、外を探し回りかねない。

 

ただ、ちょっと腹が立つのは、本人は自分が自立して生活できなくなっていることさえも理解できないために、「大丈夫よ。お母さんは一人でもできるから。いつも料理だって、やってきたんだから。」と、人の心配をよそに能天気にいう。

 

私は、母に「お父さんは、具合が悪くてしばらく入院するから、お母さんも、しばらく施設で待っていようね。」と言ってショートステイでしばらく過ごすことを伝えた。

 

「そんな所に入れられるんなら、死んだほうがましよ。」と言って、子供のように大泣きした。何とも大げさだが、私のこれまでの人生の中でも母が感情的に泣き出したのは、初めてだった。短期的だが、施設に泊まるというだけで、不安になってしまうのか。

 

可愛そうだが、私も何週間も母と一緒に実家にいるわけにもいかない。頼んでおいたショートステイのお迎えの車が来た。

 

母は、助けを求めるような目で私を見たが、私にも生活があるので、心を鬼にして「1週間たったら、迎えに行くからね。」と言って、送り出した。

 

1週間して迎えに行き、帰る車の中で「大丈夫だった?」と聞くと、あんなに大泣きした母が、「別に大丈夫よ。」と答えた。おそらく、そこに1週間いたときのことも、思い出せないのだろうと思う。

 

しかし、その晩、母が夜中に起きて来たようなので様子を見に行くと、私にこんなことを言った。

 

「もう、こんな所に入れられて、死んだほうがましよ。もう、家に帰ってもいいかしら。こんな所には、もういられないわよ。」

 

もはや、家に戻ってこようと、施設に連れていこうと、私が責められることに変わりはない。

 

泥棒にお茶?

母が認知症の診断を受けてから、早7年になる。アリセプトレミニールなど、いくつか認知症の薬を試してみたが、吐き気などの副作用があり使えなかったので、7年間おもに漢方だけでここまできた。

 

今は、10分前に誰が来たかも覚えていることはできないが、まだ母が認知症の診断をされてから、初期の頃は、何とか前日に起こったことをぼんやりと部分的に頭の中で再生することができた。

 

ある時、母に電話したら、母が家にいるときに泥棒が入ってきたという。高齢者を狙った強盗犯かと思ってゾッとしたが、お茶だけ飲んで帰っていった。というのである。

 

母は「なんて、図々しい人かしら。台所まで入り込んできて、お茶だけ飲んで、さっさと帰ったのよ。」と文句を言っている。

 

しかし、なぜ泥棒にお茶を出したのかというのも気になったが、その当時はまだ認知症という病気が理解できていなかったので、母の言うことを信じこんで、高齢者宅を狙い、何者かが様子を見に入って来たのか?と思い、びっくりして、とりあえず防犯用のブザーやら防犯カメラ監視中の安物のステッカーなど玄関先に貼りつけたりした。

 

しかし、その後、母が泥棒だと思った人物像が浮かんできた。その事件の数日後、ケアマネさんから、電話があった。バリアフリー工事料金を申請すれば一部負担してくれるというので、ケアマネさんにお願いしていたのだが、その工事の請求書を数日前に母親宅においてきたとのことだった。

 

うん?もしかして、台所に入られましたか?「はい、台所の奥にかかっているカレンダーに次の訪問日を記入してきました。」という。

 

母のケアマネさんは、男性である。もしや、母の言う泥棒とは?

 

ケアマネは女性の仕事であるというような偏見は、持ってはいないが、母は少し警戒心が強いので、慣れない男の人が家に上がってきたというだけで不安に思ったのかもしれない。しかも、台所という自分のテリトリーに勝手に入ってくるということだけで、侵入者なのだ。

 

ケアマネさんを泥棒と間違えて、大騒ぎしていたなんて。予想外の結末に驚いた。このことは、もちろんケアマネさんには、伝えなかった。私が、ケアマネさんだったら、ショックが大きいだろう思った。

 

おそらく、ケアマネさんが訪問したときは、普通に母に用件を伝えてから家に上がり、母もその時は家に招き入れ、お茶を出したのだろうと考えられる。が、見慣れない男性が台所まで入ってきたという不安感という感情だけが母の記憶の中に残り、それが泥棒というイメージで記憶されてしまったのだ。

 

泥棒か不審者が高齢者宅を偵察に来たのではないかと思って、今度は本格的に狙われたらどうしようと不安に思っていたが、だいたいの見当がつき、少し安心した。と同時に、記憶がなくなることでこのような珍事が起こるものかと改めて、認知症という病気に纏わる問題と母への今後の対応を考えさせられた。