遠距離介護:緊急入院はつらいよ
つい、先週の木曜日、母と1日すごし、100キロ先の家に戻ってきた次の日。
ケアマネさんから、「お母さん、熱があって水も飲めなくなっちゃたから、入院させたほうがいいと思うんですけど。」と連絡が来た。「昨日、来たばかりで、また、今日来てもらうことになるけど、大丈夫かしら?」
え??(昨日、6時間かけて日帰りで、行って帰ってきたばかりなんだけど!!)
私は、心に沸き起こるざわめきを抑え、「は、はい。」と言うしかなかった。
さっそく、荷物をまとめ、昨日、帰ってきたばかりの100キロの道のりをまた、戻った。
病院に着き、母に呼びかけたが、答えない。
揺り起こしても、起きない。看護婦さんも、「運ばれてきた時には、少し、受け答えはできたんですけどね。」
もう、このまま起きることはないのか?
しかし、幸い、心拍や呼吸などに、緊急性は今のところないという。 「今すぐどうこう」という事態ではないと判断し、私は一旦、自宅へ戻ることにした。今から出れば、なんとか23時には帰宅できる。
また夜の暗い道を、再び100キロ。 昨日からの走行距離を合計すると、ちょうど400キロ。
東京からだと関西ぐらいまで行けるであろうか? 私はただ母の安否を案じながら、関東圏内を行ったり来たりしていただけだった。
考えようによっちゃ、日帰りで帰れる距離でよかったか?
これって、ポジティブ思考⋯?
遠距離介護は、つらいけど、母がまた目を開けてくれることをただ祈りながら、
100キロの道のりを戻っていった。

認知症母との温かなひととき
認知症の進行
母が認知症を発症してから、8年が経ちました。
振り返ってみると、比較的ゆっくりと進行してきたように思います。
最近では歩行もおぼつかなくなり、認知症の進行段階としては、いよいよ末期に差し掛かっているのではないかと感じています。
少し前から、母は大好きだった孫のことも認識できなくなってしまいました。久しぶりに息子が会いに来たときのことです。母は息子を見て、「そこの人にお茶を出してあげれば?」と言うのです。
母にとって、今の息子は「ただの見知らぬお客さん」になってしまったようでした。
かつては「たかちゃん、たかちゃん」と、何かと孫の世話を焼いていた母。
そんな母の変化に、息子は余程のショックを受けたのでしょうか。それ以来、息子は母のもとに来なくなってしまいました。
現在、母の面倒を看ているのは、唯一私だけなので、私の名前は何とかぎりぎり呼んでくれますが、時々「どうもお世話になりましたね。」なんて、急に他人行儀な言い方をするので、介護の人と混乱している様子も見られます。
母は可哀そうなのか?
母の姉妹や親戚たちも、時々、母のもとを訪ねてくれますが、母は「いつもお世話になります。」というように、とりあえず、挨拶はするも、誰やらピンと来ていない様子。
その様子を見て、叔母たちは「あんなにしっかりしていた人が、こんなふうになるなんて。」「本当にさびしいわ。」「可哀そうに。」と口々に嘆きます。
けれども、母自身は穏やかな時間を過ごしているようにも見えます。
母との温かいひと時
先日、病院の待合室で母と順番を待っていたとき、そこにあった絵本を母に渡しました。
『うずらちゃんのかくれんぼ』という絵本です。
母は「『うずらちゃんのかくれんぼ』だって」と、子どものようにうれしそうに声に出して読み始めました。
新聞のような難しいものはもう読めませんが、絵本ならまだ楽しめます。
私は、まるで小さな娘に話しかけるように「どっちが、うずらちゃんで、どっちがひよこちゃんかな?」と問いかけました。
母は「そうね。どっちかな?」と言いながら、絵をじっと見つめています。
母もきっと、私が幼いころ、こんなふうに一緒に絵本を読んでくれていたのだろう。
そんなことを想像しながら、母と過ごすあたたかな時間に、幸せを感じました。
もうしばらく、このささやかな幸せが続いてくれたら。
そう願わずにはいられません。
ちなみに、『うずらちゃんのかくれんぼ』は、どこに隠れているのかを探しながら楽しめる絵本で、認知症の方にもおすすめです。

ダイソーのパズルがもたらす穏やかな時間
1. 器用な母の手に、ある日、訪れた変化
母がアルツハイマー型認知症と診断されてから、気づけばもう8年が経ちました。
一般的にこのタイプの認知症は、発症から平均で8〜10年かけて進行すると言われています。うちの母も、その定説に違わず、緩やかではありながらも、確かに時を刻んできました。
もともと、母は驚くほど手先が器用な人でした。自分の着物や普段着まで自分で縫い上げてしまうほどの裁縫の達人。ミシンを踏む姿は、私にとって当たり前の日常風景でした。
ところが、ある日を境に、ミシンの使い方がわからなくなり、慣れ親しんだはずの縫い物ができなくなってしまいました。それは、母のアイデンティティの一部が失われていくようで、私にとっても辛い光景でした。
2. 最後の砦、「雑巾縫い」の終焉
それでも、母の「できる能力」を少しでも活かしたい。その思いから、私は母に雑巾を縫う作業を続けてもらっていました。
タオルを渡して「周りを縫ってね」と頼むと、しばらくの間は、枠線に沿ってきちんと縫い上げることができていました。雑巾という「成果」が見えることで、母も集中できていたようです。
しかし、先週。
いつものようにタオルと針と糸を渡したところ、母はタオルを畳んだまま、ただぼーっとしている。「お母さん、雑巾を作ろうよ」と促すと、やっと針を動かし始めました。
が、その縫い目は……雑巾のど真ん中あたりを、まるでみみずが這っているかのように、チクチク、チクチク。
ああ、ついに、この単純な**「枠を縫う」**という作業さえも、母のキャパシティを超えてしまったのだと悟りました。
正直なところ、「もう、縫い物は無理かもしれない」と、少し途方に暮れてしまいました。
3. 母の心を掴んだ、ダイソーの**「独立型パズル」**
何か、母が「熱中できること」はないか。
能力の低下に合わせて、何か新しい課題を見つけてあげたい。そう思い、おもちゃ屋さん(トイザらス)でパズルを探しました。5歳児向けの15ピースの動物パズル。これならどうだろう?と思いましたが、いや、ピースを「組み合わせる」という行為自体が、今の母にはもう難しいだろうと感じました。
そんな時、たまたま息子に相談したところ、**「ダイソーに、ピースが独立しているパズルがあるよ」**と教えてくれました。
試してみる価値はあります。なにせ100円ショップ。ダメ元で、すぐにダイソーへ向かいました。
見つけたのは、野菜や果物の形をした、ピースが枠の中に**「はまる」**タイプのパズル。
早速、母に渡してみると……
意外にも集中している!
リンゴをたまねぎと間違えるなど、おかしなところに置くこともありますが、次第に「このピースはここだ」と、はまる場所を見つけられるようになってきました。
これで認知機能が劇的に向上するとは思いませんが、少なくとも、母が穏やかに、夢中になれる時間が見つかったのです。
この小さな発見をもたらしてくれたダイソーさん、そしてアドバイスをくれた息子よ、本当にありがとう!
認知症との暮らしは、毎日が「試行錯誤」ですね。とりあえず、しばらくはこのパズルを楽しんでくれればよいのですが。

母とのお盆と、不思議な会話
昨年末に父が亡くなり、この夏は初めてのお盆を迎えた。
けれど母は、いまだに父が亡くなったことを理解できていない。
認知症の母は、これまで父に支えられて自宅でなんとか生活してきた。けれど、父がいなくなった今は、一人で家にいることが難しくなり、現在はデイサービスが運営するショートステイに長期でお世話になっている。
私は、父が元気なころから毎週100キロ先の実家へ通って二人をサポートしてきた。その習慣は今も変わらず、毎週実家に戻っては母をショートステイ先へ迎えに行き、一晩だけ一緒に過ごしてまた帰る。そんな日々を送っている。
毎週の決まり文句
母と過ごす一晩。必ず聞かれるのは、
「お父さん、どこ行っちゃったのかしら?」
私は心の中で(お墓の中だよ…)とつぶやく。
母は、父が亡くなるその最期を私と一緒に看取り、葬儀にも参列し、納骨の時も、そこにいた。
しかし、認知症でもう新しい記憶を留めておくことは、決してできないので、父が亡くなった記憶も、次の日が来れば、消え去ってしまう。
というわけで、私は、毎週、父がどこに行ったのかと聞かれることになる。私も、説明したところで、私のことばもすぐに忘れ去られてしまうので、無意味な悲しみを呼び起こすのはやめて、毎回、適当に答える。
「さあ、どこいっちゃったんだろうね?」とか、「そのうち、帰って来るかな?」などと、ほらを吹いている。
母の記憶の「時間旅行」
私は、毎週の決まり切った母の質問が退屈だったので、母の父に関わる記憶がどうなっているのか、興味本位で聞いてみた。
「お父さん、昨日はいた?」
すると母は、
「昨日は、いなかったわね。」
「そうなんだ。じゃあ先週は?」と聞くと、 「先週は、いたかしら…。」
「へぇ〜先週はいたんだ!」と私。
こうして母の“記憶のカレンダー”は、私の質問ひとつで自由に行ったり来たりする。
父はもうこの世にはいないけれど、母の中では昨日いたり、先週いなかったり…。そんな母と会話していると、悲しさよりも面白さを感じてしまう自分がいる。
こんな母との不思議な会話を、私はちょっと楽しみにしている。

ごめんなさい、お母さん
父が亡くなって、初めてのお正月を迎えた。
今年は、デイサービスが4日まで休みなので、5日に母をショートステイに預けるまでは、家に戻れない。
母は、要介護2の認知症で、8年かけて緩やかに進行してきたとも言える。
今では、自宅にいてもトイレがどこにあるのかさえ、わからなくなっている。電子レンジも使うことは、できない。
という以前に、父の補聴器を危うく口に入れようとしていたこともあるので、もはや、何が食べ物かも理解できなくなっている😱
そんな母を、父がいなくなってしまった今、一人置き去りにしていくこともできない。
早く、母を預けられる施設を探そうと思ってはいたが、父の死亡後の色々な手続きや母の日々の介護で、落ち着いて探すこともできない。
年末から5日まで、早く母から開放されて家に帰れるのを指折り数えて待っていたところ、年明け3日に事件は、起こった。
私は、トイレに行こうと思って、その間、母がおかしなことをしないように、塗り絵をさせて、席を立った。
トイレに入っている、その時、バタンという物音と、母の悲鳴が2階で聞こえて来た。
私は、トイレを飛び出して、慌てて2階に駆け登った。
階段を登りきって、左側にある寝室の入り口のところで、母は頭から血を流し、倒れていた。どこにぶつかったかは、わからないが、転んで後頭部を打ってしまったらしい。
私は、開口一番、母に「どうして、勝手に2階に上がるのよ。」と叱ってしまった。心配であるのと同時に、怒りもこみ上げてきた。
正月休み、ずっと母と一緒にいたストレスを抱えながら、あと、一晩、過ごせば家に帰れると自分に言い聞かせていたので、母の怪我を見た途端、これで私が家に帰るのは、延期しなければならないと思ったのだろうか。
私は、母の頭の怪我をタオルで押さえながら、意識がはっきりしていることも、確認し、救急車を待っている間、また再び、母に怒りをぶつけた。
「どれだけ迷惑かければ、気がすむのよ。」と、痛みをこらえている母にむかって言ってしまった。今まで、遠距離介護、認知症介護を続けてきたストレスなど、溜まっていたものが、こんな時に吹き出してしまった。
救急車で運ばれ、病院に着き、頭を縫ってもらっている痛そうな母を見て、はじめて、私は、冷静になり、こんなかわいそうな母に、なんてことを言ってしまったんだろうと我にかえった。お母さん、ごめんね。
しかし、家に帰るタクシーの中で、母は頭の傷にあてられたガーゼを一生懸命とろうとして、「何か頭についているけど、とれないわ。」
「お母さん、今、つけてもらったばっかりなのに、とっちゃだめだよ!」
「どうして?こんなものいらないわよ。」
自分が頭を怪我したことも、私が母に怒りをぶつけてしまったことも、全て忘れているようである。

認知症母を介護していた父が旅立ってしまった
1ヶ月前、父が91歳で亡くなった。
十分、長生きしたと言えるが、認知症の母をおいていくのは、心残りだったに違いない。
母が認知症を発症してから、8年。父は、亡くなるまで、母の面倒をみていた。特に、病気を患っていたわけではないが、突然の脳内出血で逝ってしまった。
母より5歳年上で、歩くのも大変そうだったが、母の食事の支度をしたり、洗濯をしたり、さぞ大変だったことだったと思う。お父さん、お疲れさま。
あとは、私がお母さんをしっかり看るから、心配しないでね。と言いたいところだが、年末年始、デイサービスが休みで、1週間、母と四六時中いなければならなかったのは、もう気が狂いそうだった。
もちろん、母は父の葬儀にも参列し、骨上げまでしていたのにもかかわらず、次の日には、すっかり忘れてしまい、「お父さん、どこ行っちゃったのかしら?」と、探している。
それが、いつまで続くのかと観察していたが、父が亡くなって一ヶ月たった今も、毎日、「お父さん、まったくどこ行っちゃったのかしら?」と勝手に腹を立てている。
私は、「遺影と骨壺を指し、そこに寝てる。」と言ってみるが、私が冗談でも
言っていると思っているらしく、「何言ってるのよ」「それは写真でしょ」と言う。
まだ、49日が終わっていないので、しっかり祭壇に写真と骨壺、位牌がおいてある。
普通の感覚なら、どう見ても、亡くなったとしか思えないだろうが、母は、それを見ても全くピンと来ないらしい。祭壇に飾られた花を見ては、「お花、きれいね」と喜んでいる。
一番、びっくりしたのは、祭壇に果物やら父の好物だった食べ物が御膳においてあるのを見て、骨壺が入っている箱の中にも何やら、お菓子でも入っているのかと思ったのか、中をあさっていた。
私は、慌てて「何してるのよ」と問いただしたら、やはり、「何か美味しいものが入っているのかと思ったけど、何もないわね」という。

お父さん、かわいそうに。あの世で、笑っているでしょうか?
母を一人にしてはおけない理由
今週も、3時間電車にゆられて、介護帰省して参りました。
現在の母は、掃除も、洗濯も、料理も、もう何もしない。というか、できないのだ。母の家にいる時の日課は、もっぱらテレビを見てぼーっとしているか、何かを食べているかのどちらかしかない。
何もできなくなってから、むしろ、食べることに関しては、貪欲になってきたようにも思える。
先日、午前中父を病院に連れて行って、1時間半ぐらい母を家に残し、家に戻って来た。さっそく、昼食の支度にとりかかろうと思った。あれ?帰ってからすぐ食べられるようにと家を出る直前に茹でておいたはずのとうもろこし3本が見当たらない。
最近、私も、忘れっぽくなっているが、確かに茹でておいていったことは覚えている。まだ熱かったので冷蔵庫には入れず、冷蔵庫前にある棚の上に、確かに置いていった。
だが、3本ともない。冷蔵庫の中、電子レンジの中も確認した。食卓も見たが、ない。
母に聞いても、「知らないわよ。」という。たとえ、母がどうにかしても、覚えているはずもないので、聞いてもしかたがないのだが........。
まさか、捨ててしまったのか? 慌てて、ゴミ箱の中も覗いた。
私は、一瞬、止まった。
粒一つ残すところなく、きれいに完食されたとうもろこしの残骸が、ゴミ箱にきちんと3本入っているではないか!?
思わず、「お母さん、自分で全部食べちゃったんじゃないの!?」と母を問い詰めた。
母は「知らないわよ。」と言いはる。確かに、母は嘘はついていない。思い出そうにも、覚えていないのだ。
しかし、私と父が留守にしている間、そこにいたのは母だけだ。泥棒が入って食べて行ったわけでもないだろうし....。
以前の母なら、おいしいものは、いつも家族に残してくれていたのに。認知症というものは、性格まで変えてしまうのだろうか?
いや、食べたいものが眼の前にあるから、それを食べているだけなのだ。ある意味、本能の赴くままに行動できて、ストレスはないのだろうなぁと思ったりする。
今日もまた、買い物に行くと母に言ったら、「私はお留守番している。」と言う。
「いや、それはできない。今日はいっしょに来てもらう。」と私は母に言った。
母を一人おいていったら、また、用意しておいたおかずが食べられてしまう。
ただでさえ、やることが多いのに、また、おかずを作り直すのはごめんだ。
母を一人、家に残しては、こちらが困るのだ。
